人的資本の開示項目とは? 義務化に向けた開示例とポイントを解説
著者:チームスピリット編集部
2023年から、まずは上場企業を中心に「人的資本の開示」が義務化されます。
今後は、企業に対する評価の中でも「人的資本」が重要な役割を担うことが予想され、事業規模に関わらず、企業において人的資本情報を開示する必要性はいっそう高まると見込まれています。
そもそも人的資本とは、人材そのものを、能力などの付加価値を生み出す「資本」と捉えることです。人材をコストや資源(リソース)と捉える従来の「人的資源」とは考え方が異なります。
資源、つまりリソースとして消費するものではなく、資本として磨くことで経済的価値や企業価値の向上を最大化しようという考え方です。
本記事では人的資本について、開示義務化のポイント、開示項目、開示例について詳しく解説します。
●目次 |
1.人的資本の開示義務化に対応する際のポイント
人的資本には、従業員が持つ能力や経験、会社に対するエンゲージメント(従業員満足度)などが挙げられます。これらは目には見えない無形資産のため、各企業がどれだけの人的資本を有しているのかを可視化して開示する、ということが義務化で求められているポイントです。
具体的には、金融庁が上場企業に対し、2023年度から有価証券報告書に人的資本の情報を記載するよう求めています。
開示義務への対応ポイントは以下のとおりです。
【開示義務への対応ポイント】 | |
対象企業 | 有価証券報告書(有報)を発行している約4,000社の大手企業 |
対応時期 |
2023年の3月期決算以降の有価証券報告書から (小売業などの2023年2月期以前の決算は対象外) |
対応内容 |
① サステナビリティ(持続可能性)を記載する 「人材育成方針」「働きやすい職場環境づくりの方針(社内環境整備方針)」 ② 人材の多様性を示す指標を記載する 「女性管理職比率」「育児休業取得率」「男女間賃金格差」 |
有価証券報告書は「財務情報」と「非財務情報」から成り立っており、人的資本は非財務情報に該当します。
今回の開示義務化は、財務情報だけでは判断しにくい「サステナビリティ」「人材の多様性」が対象となりました。
サステナビリティ(持続可能性)情報の記載が必須化されたことにより、働きやすい職場環境づくりの方針(社内環境整備方針)についての明記も求められるようになりました。具体的な指標としては、従業員満足度、定着率・離職率、人材に対する投資額などです。
詳しい記載例については、次章で解説します。
2.人的資本の開示項目
人的資本の開示が義務付けられたことにより、具体的には何を記載すればよいのでしょうか。
ここでは有価証券報告書への開示が義務化される6項目と、政府から開示が望ましいとされている19の項目について開示内容と記載例を解説します。
有価証券報告書への開示義務項目
政府が企業の人的資本情報の開示を急ぐ理由は、投資家による日本企業への投資を促進するためです。
人的資本に関して、有価証券報告書への記載が義務付けられる項目は、2分野6項目となっています。
この2つの分野は、従来の財務情報からの把握が難しいものの、投資先を検討する際には重要な指標となるため、開示が義務化されることになりました。 有価証券報告書に記載が義務付けられている内容は次のとおりです。
【有価証券報告書に開示義務のある6項目】 | |
サステナビリティ(持続可能性)情報 | ①人材育成方針 ② 社内環境整備方針 |
人材の多様性を示す情報 |
③ 女性管理職比率 ④ 男性育休取得率 ⑤ 男女間賃金格差 ⑥ 人的資本や多様性の測定可能な指標と目標 |
①~⑥の情報開示義務は、金融商品取引法*1、育児・介護休業法*2、女性活躍推進法*3の各法律によって定められています。
有価証券報告書の記載事項については、従来の金融商品取引法で定められた事項に加えて、2022年に改正された育児・介護休業法と女性活躍推進法に基づく③④⑤の開示の記載が義務付けられました。
*1 出典:e-Gov法令検索|金融商品取引法以下、①~⑥について、具体的な記載内容や記載条件をご紹介します。
① 人材育成方針
多様性の確保を含む人材育成方針を示します。研修の時間や費用、参加率などが挙げられます。なお、目標をどの程度の水準に設定するかは企業の裁量に委ねられています。
② 社内環境整備方針
実際に多様な人材に対応できる社内環境を、いつまでにどれほど整備しているか、あるいは整備する方針であるかを示します。
③ 女性管理職比率
管理職全体に占める女性比率を示します。開示義務対象は、301人以上の企業です。
④ 男性育休取得率
開示義務は2023年4月の事業年度からとされており、対象企業は1,000人以上の企業です。開示義務がある企業には、年1回の公表が義務付けられています。
⑤ 男女間賃金格差
開示義務対象は、従業員数が301人以上の企業です。開示する情報は、金額ではなく男性の賃金に対する女性の賃金の割合とし、正規・非正規雇用に分け、連結ベースではなく企業単体ごとに記載する必要があります。
⑥ 人的資本や多様性の測定可能な指標と目標
育児休暇取得率、育児休暇後の復職率・定着率などを示します。
【関連記事】男性の育休取得推進に向けた、法改正のポイントと企業が取り組むべきこと
政府が開示すべきとしている6分野19項目
前述の有価証券報告書への記載事項のほかにも、政府は「人的資本可視化指針」において開示が望ましいとされている19の項目を策定しています。
どの企業にも開示が推奨されている、人的資本における6つの分野と19の項目は次の表のとおりです。
【政府が開示を求める6つの分野と19項目】 | ||
分野 | 開示内容 | 開示項目 |
【1】人材育成 | 社員の研修の時間・費用・参加率など育成への取り組みや、キャリア開発、人材確保のための取り組みなど | ①リーダーシップ ②育成 ③スキル・経験 |
【2】従業員エンゲージメント | 企業に対する従業員の理解度や満足度、貢献したいという共感度など | ④従業員エンゲージメント |
【3】流動性 | 離職率や新規雇用者数、後継者準備率、人材確保・定着の取り組みの説明など | ⑤採用 ⑥維持 ⑦サクセッション(後継者の育成) |
【4】ダイバーシティ | 社員・経営層の男女比率、男女間の給与差、育児休暇取得率、育児休暇後の復職率・定着率など | ⑧ダイバーシティ ⑨非差別 ⑩育児休暇 |
【5】健康・安全 | 労働災害の種類、発生件数・割合、死亡数、医療・ヘルスケアサービスの利用や適用範囲 の説明など | ⑪精神的健康 ⑫身体的健康 ⑬安全 |
【6】コンプライアンス・労働慣行 | 団体交渉協定の対象となる社員の割合、業務停止件数、コンプライアンスや人権等の研修を受けた社員の割合、苦情の件数など | ⑭労働慣行 ⑮強制労働 ⑯賃金の公正性 ⑰福利厚生 ⑱組合との関係 ⑲コンプライアンス・倫理 |
政府がこれらの開示を求める背景には、各企業が持続的な成長と企業価値の向上を図るために、自律的な対応を行ってほしいという狙いがあります。
各項目が、どのような観点から開示を求められているかについて分野ごとに見ていきましょう。
【1】人材育成
人的資本における「人材育成」とは、企業の持続的な成長に必須となる人材を育成・確保できているか、という観点です。企業の中長期的なビジョンや戦略が表れる分野でもあります。開示項目は「リーダーシップ」「育成」「スキル・経験」が挙げられ、具体的な記載内容は、研修にかけている時間や費用、参加率などが該当します。
【2】従業員エンゲージメント
企業で働く従業員が、自社に満足し、やりがいや意欲・熱意を持って働いているかを示します。一般的に、従業員エンゲージメントが高いほど生産性向上にも寄与するとされており、企業の将来の業績を予測するための指標でもあります。具体的には、従業員満足度やストレス度、理解度などが挙げられます。
【3】流動性
「流動性」は、人材の採用や定着への取り組みを示す分野であり、前述の人材育成や従業員エンゲージメントとともに、組織文化の可視化を構成する指標といえます。企業の持続性の観点で「採用」「維持」「サクセッション(後継者の育成)」の開示が求められています。具体的には、離職率や定着率、新規雇用率などが考えられます。
【4】ダイバーシティ
「ダイバーシティ」は、性別や雇用形態、ライフスタイルに関わらず各従業員が尊重されていることを確認するためのカテゴリです。「ダイバーシティ」「非差別」「育児休暇」が開示項目となっており、多様性に富む人材が活躍できているかを示します。
【5】健康・安全
「健康・安全」分野は、企業で働く従業員の心身の健康と安全が守られているかという観点です。安全衛生のマネジメントを企業がしっかり行っているかを判断できるよう、「精神的健康」「身体的健康」「安全」が開示項目となっています。労災事故の件数を押さえておくのはもちろん、予防策や研修と言った観点でもリストアップしておきましょう。
【6】コンプライアンス・労働慣行
「コンプライアンス・労働慣行」分野では、企業が適切な倫理観を持って企業活動を行っているかを示します。開示項目は「労働慣行」「強制労働」「賃金の公正性」「福利厚生」「組合との関係」「コンプライアンス・倫理」です。具体的な記載内容は、差別や人権の侵害、苦情や業務停止の件数など、コンプライアンス(法令遵守)違反の有無などが該当します。
【関連記事】【2021年6月コーポレートガバナンス・コード改訂】人的資本情報開示の対応ポイントと背景
3.人的資本の開示事例
人的資本の開示項目は多岐にわたる上、記載の方法も企業に委ねられているのが現状です。既に開示している企業では、分かりやすさを重視した図を掲載しているケースが多くなっています。
ここでは、金融庁公表の『記述情報の開示の好事例集2021「経営・人的資本・多様性等」の開示例』をもとに、具体的な記載例をご紹介します。
世界各地に活動拠点のある総合商社、グローバルビジネスを展開するメーカー、国内の大手金融機関という、3つの異なる業種から各企業の開示の取り組みを参考に解説します。
参考(PDF資料):金融庁丨記述情報の開示の好事例集2021 「経営・人的資本・多様性等」の開示例
住友商事株式会社
住友商事株式会社は、2021年3月期の有価証券報告書に、人材育成方針や社内環境整備方針など、サステナビリティについての情報を開示しています。
参考になるポイントは、社会の重要課題と経営理念に関連付けて分かりやすく記載している点です。
中期・長期目標という切り口で定量的な指標も含めている点も良いでしょう。
【参考にできる記載例】 |
・人権尊重の浸透・徹底:2023年までに、"(国連)指導原則" に基づく人権教育の単体受講率100% ・安全な職場環境の確保:主要事業労働現場における災害ゼロへの取り組み強化 ・多様性に富み互いに尊重し合う組織の実現:差別・ハラスメントのない職場環境を整備 |
出典(PDF資料):金融庁「記述情報の開示の好事例集2021丨「経営・人的資本・多様性等」の開示例」(2-21)
株式会社リコー
株式会社リコーは、2021年3月期の有価証券報告書において、経営方針と共にエンゲージメントやダイバーシティに関する情報を開示しています。
ポイントは、SDGs目標やESG目標と紐づけて、具体的な数値目標を明示し、端的に評価指標や目標を記載している点です。また、アイコンを用いて分かりやすくカテゴライズし、読みやすさを意識した作りになっている点も参考になるでしょう。
【参考にできる記載例】 |
2022年度目標 ・エンゲージメントスコア:各地域50パーセンタイル以上 ・女性管理職比率:グローバル16.5%以上(国内7.0%以上) |
出典(PDF資料):金融庁「記述情報の開示の好事例集2021丨「経営・人的資本・多様性等」の開示例」(2-33)
第一生命ホールディングス株式会社
第一生命ホールディングス株式会社は、2021年3月期の有価証券報告書に、ダイバーシティや働きがい、エンゲージメントの目標を開示しています。
こちらもSDGs目標を切り口とし、社会課題と経営方針の中長期的な方向性とを紐づけています。その紐づけが視覚的に分かりやすい形で図示されており、ステークホルダーが理解しやすいよう配慮されています。
【参考にできる記載例】 |
・多様な人々の活躍:取締役・執行役員層および経営リーダー層の女性占率向上 ・多様性に富んだ人材の確保(従業員エンゲージメントの追求):中途人財、海外人財の活躍をはじめとする、従業員・経営リーダー層のダイバーシティ実現 |
出典(PDF資料):金融庁「記述情報の開示の好事例集2021丨「経営・人的資本・多様性等」の開示例」(2-9)
4.まとめ
人的資本の開示とは、企業が資本としての人材にどう向き合い、具体的にどう投資していくのかを対外的に示す情報開示です。有価証券報告書への開示は、まずは上場企業に義務づけられましたが、今後すべての企業が求められることになるでしょう。
今回ご紹介したとおり、一部の大手企業は義務化の前に開示を始めています。これは、義務化の背景にあるESG経営や、SDGsといった企業活動に対する関心の表れともいえます。
また、財務面のみならず、人的資本が顧客や求職者をはじめとするステークホルダーによって、企業を見極める際の重要な判断指針とされつつあることも明らかになってきています。
各企業の担当者は、開示に向けた人的資本データの収集は急務と考え、開示項目について準備しておくことをおすすめします。
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